好きな作家、嫌いな作家
2005年6月23日「姑獲鳥の夏」の映画化が決まった時、原作者の京極夏彦先生が公式サイトでおっしゃった一言があります。「作品が作者の手から離れた時点で、僕は作品に関与しない。作品のイメージは読者それぞれが持つものだからそこに口出ししない(大意)」。これって重要なことだと思いませんか? 作者と読者の棲み分けが出来るというのは素晴らしいと思うのです。
少し違うかもしれないけど、初回・2回目の日記でお名前を出したかずはじめ先生も「自分が苦労している姿を読者に見せない」という信念をお持ちで、私は概して両先生のような作家を好きになる傾向があるようです。そしてそれは作家としての私にも通じるところがあります。だから言い訳めいたあとがきが並んでいる作品にめぐりあうとげんなりしてくるのです。自分の書いたものに言い訳しなきゃいけないものなら世に出すなと言いたい。これは結構昔から思っていることですね。でも年を追うごとにそういう作品が増えてくるからうんざり……です。
少し違うかもしれないけど、初回・2回目の日記でお名前を出したかずはじめ先生も「自分が苦労している姿を読者に見せない」という信念をお持ちで、私は概して両先生のような作家を好きになる傾向があるようです。そしてそれは作家としての私にも通じるところがあります。だから言い訳めいたあとがきが並んでいる作品にめぐりあうとげんなりしてくるのです。自分の書いたものに言い訳しなきゃいけないものなら世に出すなと言いたい。これは結構昔から思っていることですね。でも年を追うごとにそういう作品が増えてくるからうんざり……です。
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