バチスタシリーズの2作目と3作目。時系列は同じなので、まとめてレビューを。
ナイチンゲールは、取り扱う素材も微妙だし、ミステリーとしてもお粗末でした。歌声を聞いた人の脳の一部が活性化して周囲の人に映像を見せる、なんて、科学的にも実証されてないと思うし、それを現役医師である作者が書くのは賛成できません。

ジェネラル・ルージュは医師と業者の癒着を田口・白鳥コンビが暴くということで、バチスタの流れを組んでいるし、何よりも作者の看護観が丁寧に描かれていて(看護とは「生病老死」であり、患者はそれを受けてこそ幸せな一生が送れるということ)、好感が持てました。

順番としては、ナイチンゲール→ジェネラル・ルージュをオススメします。
直木賞受賞作家東野圭吾が作家を志すきっかけになった作品であり、東野の発言により復刊された書である。

ミステリーとしては骨が弱く、青春群像劇と言った方が相応しい作品であるが、現在第一線で活躍している作家の原点とも言える作品でもある。この小説の中に、東野が、西村が、赤川が、宮部が、森が、いる。

作者の小峰元はこの作品を発表した当時、50代だった。1994年に鬼籍に入られた。

本書は、世代(時代)を超えて読み継がれて欲しい傑作である!
最初から被害者を殺した容疑者は2人と決められている。真犯人はラストにおいても明かされない。読者の謎解きに、この物語の面白さの全てがかかっている。

謎解きの最大のヒントは被害者の利き腕と睡眠薬の袋の破り方。被害者はお箸と鉛筆以外は左利きである。真犯人はそれを知らない右利きの人間である。

と単純に考えればこうだ。だけど、真犯人の恋人で被害者の親友だった左利きの女が、自分に容疑がかからないように、偽装工作をしたという可能性はないの?真犯人がアリバイ工作のために、女に後始末を頼んでいったん引き揚げた後、あえて睡眠薬の袋を右手で破ったとかないの?

ひねくれものが出した答えはまったく逆だったの。「どちらかが彼女を殺した」は女に前述のような悪意が一切ないことを前提にした場合にのみ成り立つ推理だと思うの。それが証明されない限り、解は不定である。これが私の答え。真犯人が殺したかもしれないし、女が殺した可能性も否定できない。なおかつ被害者が自殺した可能性もないとは言い切れない。

私のような考え方をした人はほとんどいないみたいね。ぐっすん・・・
読了。文庫5冊。でも圧倒的な筆力で読まされた。
小野不由美は歴史的造形が深く、医学的な勉強もよくしていると思う。ホラー小説であり、歴史小説であり、ミステリーであり、探偵物であり、ヒーロー物であり……。読む人によって様々な感想を抱くと思う。また誰に共感するかも十人十色であると思う。後書きを書いた宮部みゆきによれば、死よりももっと悪しきものを予感し、そのため悲劇的な最期を遂げた結城夏野か屍鬼になることによって人間の良心から解き放たれた村迫正雄か清水恵に共感するのではないか、とのことだったが、短慮に過ぎるように思う。
私が共感したのは室井静信。静信はいつだって「自分はいったい何なのか」という問いに苦しめられていた。そして数度の自殺未遂事件を起こした。村を愛し、村を憎む僧侶だった。彼の自問自答、諦念、自分探しの旅の過程で行った探偵稼業。そのすべてに共感する。私もまた自分が何者かわからないからだ。物語の終盤で答えを出せた静信は僥倖だったと思う。
そんな静信の対立項として、尾崎敏夫という医師が登場する。彼は科学者であり、科学を信奉しながらもやがてありえない結論へ達する。生来の頑固さと正義感から村人を襲う屍鬼を退治するハンターの役目を負う。そして静信と袂を分かっていく。
屍鬼となった少女 ――沙子(すなこ)に共感し、共に生きる決意をした静信を敏夫は黙って見逃す。そこに2人にしかわからない友情を感じる。

小野不由美はスティーブン・キングの「呪われた街」に題材を採ったそうだが、私としては萩尾望都「ポーの一族」が想起される。「ポーの一族」も人間を狩り血を食らう吸血鬼 ――バンパネラを題材にしている。相違点もあるが、共通点もかなり多い。小野が「ポーの一族」を読んだことがあるかどうかは不明だが、私は密かにあるのではないかと思う。

屍鬼となった静信と屍鬼を狩った敏夫。外場という村が消滅した後、どこかの街で偶然会うことがあっただろうか。終章では静信のその後は書かれているが、敏夫についてはまったく触れられていない。だけど、私は会ったのではないかと思う。その後敏夫がどのようになったのかはわからないけれども……
宮部の現代物の中で2番目に好き。(1番はサボテンの花)。「レベル7まで行ったら戻れない」という謎の言葉を残して失踪した女子高生と彼女を捜す未亡人悦子。パレス新開橋というマンションの一室で目覚めた記憶を失った男女。まったく異なる2つの事件が「ある事件」をきっかけに交わり、怒涛のラストをめがけて突き進んでいく様は圧巻である。書きたいものがはっきり見えているせいか、物語の芯にブレがない。(レベル7を読んではじめて、「火車」がイマイチだったのかはっきりしたけど)。宮部の現代物は冗長すぎるのが欠点だったけど、これは過不足がなくて読みやすい。まとまっていて良い作品です。ぜひぜひ読んでみて下さい。

最近ホント宮部のブックレビューばっかり書いてますね。陰では志麻子とかも読んでいますのよ。次はなんにしようかしら。
やっぱり宮部みゆきの時代物はいいなぁと思わせる逸品である。彼女の書く江戸ものは本当に上手い。江戸時代に生きる武士や町人にすごく魅力がある。お徳、おくめ、平四郎、弓之助、佐吉など個性豊かな住人たちで溢れている。飽きない。

この小説は連作短編集と思わせておいて実は長編という構成の妙があり、それが楽しみ。

ただ惜しむらくは佐吉の義妹であるみすずの活躍があんまりなかったことと「誰が太助をxxxxのか」という謎が残ったこと。
おりんのような人間たち、玄之介のようなお化けたちの生き生きとした姿を描いた心温まる、やさしい物語。笑ったり驚かされたり、ホロリとさせられたりする素敵な物語。宮部さんの中でもベスト3に入る作品ですね。

それにしても宮部さんって時代物やすこしふしぎなSF物やコメディはすごくいいのに、なんで現代物となるとあんなにグダグダになるんでしょう?「火車」にしても「理由」にしても着眼点はいいのに、無駄が多い。その最たるものが「模倣犯」なんですけどね。

私の好きな宮部作品
・ステップ・ファーザー・ステップ
・蒲生邸事件
・あかんべえ
・龍は眠る
・サボテンの花(「我らが隣人の犯罪」に収録されている短篇)

ぜひ一度読んでみてください。
宮部作品は当たりハズレが大きいけど、これは大当たりの小説ね。

孝史とふきの「お別れ」のシーンも良かったけど、90年代に生きていた平田が時間旅行者としての能力を駆使して昭和11年2月26日の東京に行き、人間として生き、人間として死んで行ったことに私の心はうずきました。しかも戦死という死に方だったし、すごく理不尽なくせに、どこか妙に納得する終わり方でした。
私からすれば2:26事件以降日本が太平洋戦争につっ走っていく時代など、生き辛い世の中だと思うけど、人が人を思いやって生きていけた時代だったのかもしれません。

宮部さんが書くSFファンタジーは割と好き。それでも当たりハズレが大きいんだけどさ。

お薦めの一冊です。

前巷説百物語

2007年6月4日 読書
 ――又市、いかにして御行になりしか ――

というキャッチフレーズにすべてが凝縮されている。キャッチフレーズの勝利だと思う。

事触れの治平、算盤の徳次郎以外の主要人物との馴れ初めが出てくるので巷説まったく読んでいないならこの本から読んでもいいかも!?

前巷説百物語に出てくる山崎寅之助。キャラ萌えしました。

ただし江戸後期に身分制度に憎悪をし、差別に激しく抵抗する者がこの本に登場するほどたくさんいたという説には疑問を投げかけます。まぁ、「続巷説百物語」のラストで又市と山岡百介が別れてから、「後巷説百物語」までどれくらい間が空いているのか正確にはわかりませんからねぇ。「前巷説百物語」に出てくる体制に反発する者がどんどんどんどん増えていって江戸幕府は転覆したのですから、あながち嘘ではないかもしれません。面白い学説でした。
いいんじゃない。那古野(名古屋)と東京と離れて暮らすことになっても、犀川と萌絵の絆は変わらない。

イータでとりあえず萌絵の物語は決着が着いたのかな?

それにしても犀川は、ずっと萌絵が(京極風に言えば)彼岸の彼方に行かないように護り続けてきたのかな?関わりたくない殺人事件にも犀川が首を突っ込んできたのも萌絵のためだったりして?

でもGシリーズはきっとまだまだ続いていくと思う。犀川&萌絵と四季の対決、紅子や保呂草、赤柳がどう関わってくるのか?とても楽しみです。

物語のラストでトーマが亡くなって、それがとても悲しかったです。萌絵が大学生の頃からそばにいた犬。年月の速さを感じました。

森の作品を読んでいると感じるんだけど、人との縁だけはどうなるかわからないんだよね。違う世界の違う物語がひょんな拍子でくっついちゃったりして……。きっと現実の世界でも知らない間に起こっているんでしょうね。不要な絆は淘汰され、重要なものだけ残っていく。イータを読んで、そう思いました。

イータは本当はギリシア文字です。でも変換できなかったので、カタカナにしました。
Gシリーズ第一弾。買ってから読むまでに随分経ってます。おまけに途中でつまんなくて投げてます。

ようやく今日読み終えました。

本筋よりも電話で出演の犀川先生に萌え〜。犀川先生と西之園萌絵が「有限と微小のパン」、「四季〜秋」を経てきちんと恋人らしくなっているのが嬉しかった。

また萌絵の人格がS&Mシリーズの頃と比べて変わったという印象を持ちました。「有限と微小のパン」で真賀田四季と対峙し両親の死を受け入れられるようになり、「四季〜秋」で真賀田四季と再会したことで、平凡な大人として生きていく覚悟が出来たからではないでしょうか。

犀川先生も真賀田四季の才能を認めつつも人生のパートナーとしては萌絵を選んだような気がします。

「φは壊れたね」に出てくる加部谷恵美は、「幻惑の死と使徒」(S&Mシリーズ)で初登場するんですよね。当時中学生だった彼女がGシリーズでは大学2年生。時の流れを感じるものです…。
最後が蛇足だった。守が高木良子を助けるところまではいい。その後父の失踪の真相を聞かされ、その犯人に(他人の力を借りて)復讐に行くところはいらない。確かに守に真実を教えた老人は魔術師かもしれないが、それを証明するためのラストはいらない。

宮部さんの悪い癖が出た作品だと思った。拘置所で無実を叫ぶタクシー運転手とその家族および守に焦点を当てるともっと面白い作品になったのではないかと思った。

宮部さんの小説を読むたびに、正しい日本語に出会うのだが、この小説は結構ぐだぐだ。日本語がこなれていないところがところどころあり、彼女も新人だったころがあるのだなと不思議な思いに至った。

読むのならもう少し後に出た「龍は眠る」をお薦めします。内容としては「クロスファイヤー」のようなサイコメトリックを扱っているけど、ロジックに破綻がありません。最後がかっこいいです。
余談だが、リリー・フランキー氏が木村拓哉へ贈った曲がある。「君がいる」。私はずっとこの「君」は彼女や妻のことだと思っていたが、「東京タワー」を読んでからはずっと「君」がオカンに思えてならない。リリー・フランキー氏にとって「君がいる」の君はオカンのことだったのではないか?

本編もずっとボクからオカンへの愛が綴られている。買ってから実際にページを開くまでとても時間が掛かった小説。読みながら、最後は自分のオカンが年老いていずれ自分の目の前から消えてしまう、という事実を実感させられた小説。
オカンはずっといつまでも若くて死なないと思っていた自分がいた。でもそうじゃない現実……。

自分のオカンやオトンが疎ましく思ったら、読んでみることをお薦めします。意外と気持ちが荒れている時に読むといいかもしれませんね。

印象に残った場面は、オカンの通夜の席で、リリー氏のアシスタントのホセが「対決(酒の飲み比べ)」をしてはじめて勝ち、横たわるオカンの枕元に来て、泣きながら「勝ちました」と報告するところ。オカンがどれだけ多くの人に愛されたかを物語るエピソードです。
日本のどこにでもある平凡な家庭。幼女を殺してしまった中学生と息子を思うあまり、幼女の死体を遺棄しその罪を(痴呆症の)実母になすりつけようとする主人公夫婦。早くから真相を見抜き、追い詰めていく刑事。

一見するとありえなさそうな設定。だけどどこかあり得ると私は思ったのです。理由は解決編を読むとわかるけど……。

私も家族に対しては複雑な思いを抱いているから、罪を着せられそうになったおかあさんの気持ちはすごくよくわかるなぁ。自分の世界に引きこもるしか自分を護る術はないという……。これはきっと殺人を犯した主人公の息子も同じね。「親が悪いんだ……」という台詞。甘ったれてるけど、言いたいことはなんとなくわかる。

息子にも妻にも毅然とした態度を示せない主人公は、読んでいて本当に情けなかったです。イマドキのお父さんってこんなもの?

新春初読書となったこの本。読む価値有りです。「名もなき毒」よりはるかに読みやすいですよ。東野圭吾の作品の中では一番好きです。

最後になりましたが、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
感動。だけど、ただひたすらに重い。人が生きるのはかくも難しいことなのかと考えさせられる。

もしあの時ほんの少しズルをしていたら、些細な出来事を見逃さずにいたら。人はまったく違う道を選べたのかもしれない。

社会には富める者と貧困の連鎖にあえぐ者がいる。しかも今の日本(この小説の舞台は東京)に確実にいる。

正義とは何か。悪とは何か。

ささやかな幸せ。断ち切れない不幸。それを断ち切ろうと思ったら……。

人間の心には毒がある。悪魔と置き換えてもいい。その毒が少しでも滲みだしたら、もう元へは戻らない。どこへも行けない。確実に人を社会を蝕んでいく。

これは傑作です!これを凌ぐミステリーにはしばらく会えないかもしれない。未読の方、ぜひどうぞ!

最後になりましたが、今年も当サイト、当ブログを読んでいただきまして、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

みなさま、良いお年を。
読んでいてどんどんうつになる本(笑)
多分健康な人が読むとすごく退屈。だけど精神的に落ち込んでいる人が読むと、元気を得られるかヤバくなるかのどっちか(笑)
私はその中間だった。

吾妻先生の読書量に驚きつつ、私はまた「失踪日記」を読み返している・・・。

邪魅の雫

2006年10月9日 読書
エピローグがあっさりとしている。とても哀しい作品。
邪魅は魍魎の対と言われているが、私には絡新婦のトレースに見えた。黒幕も茜さんの不完全なコピーみたいで・・・。黒幕がもっと凛とした人物なら、もっと魅力的な作品になったのでは?(設定とか比較すると茜さんと今回の黒幕の人物設定は正反対だったりするので・・・)

青木君や益田君が狂言回しとしてすごく活躍していたし、関口君も京極堂のような役回りで、それはそれで新鮮で良かったけれども・・・。

この作品、「絡新婦の理」の劣化コピーに見えるの、私だけかな?(殺害の手口も一緒か・・・)

帝銀事件や731部隊に関する京極堂の薀蓄が一番面白かったです。

この作品を読む前に、「魍魎の匣」と「絡新婦の理」は読んで下さいね。
森博嗣Vシリーズの第1作と最終作のタイトル。S&Mシリーズの時もそうだったけど、森作品は第1作と最終作が対になることが多いね。これもそう。Vシリーズの語り手は誰だったのかが最大のミステリーだと私は思うけど、実はへっ君だったのではないかと・・・。そうするとS&MとVが繋がるんだけどな。Vは最後で四季に繋がります。四季には、幼い四季と紅子との会話がトレースされていて、これにはびっくらこいた。だからS&M→V→四季と読んでいけばいいと思います。

私はインターバルを置いて(京極の『邪魅の雫』が発売されるので)、Gシリーズに入っていこうと思います。

親父の遺言

2006年6月11日 読書
この本を読んで好感を持たれた方は、これ以上読むのをお止めください。




2年前亡くなられたいかりや長介さんのご長男いかりや浩一氏が書かれたものである。ドリフで育った世代。興味深く読んだ。けど失望した。筆者であるいかりや浩一氏はプロの作家ではない。しかしあまりにもでたらめな言葉遣いに驚いた。身内や関係者には「さん」付けだが、そうじゃない人は呼び捨て。敬語も使い慣れていないようで、長さんじゃないけど「本を出すには早すぎた」感が否めない。もう少し徹底的な校正が入らなかったのだろうか?浩一氏に文章の書き方を教える人はいなかったのだろうか?この文章でいかりや長介を語って欲しくない!と思いました。
ただ長さんが亡くなるまでの1週間を日記形式で語っていたのは良かった。

超激辛ですが……。